堤剛のバッハ無伴奏全曲演奏会

<p>団員の皆様、先日の定期演奏会はお疲れ様でした。演奏した側で言うのもややはばかられますが、全体にいいブラームスだったように思いました。細かいアンサンブルや音程でやや課題は残りましたが、前回のブラームス第四よりかなり進歩したように感じました。</p> <p>個人的に昨年は何かと忙しく、当ブログもすっかりご無沙汰してしまいましたが、先日、わが国のチェロ界の大御所、堤剛によるバッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会(4月7日、みなとみらい大ホール)を聴き、久しぶりで大きな感銘を受けたので今日から再開することにしました。</p> <p>堤のバッハは一言で言うと自由自在できわめて人間的なバッハです。</p> <p>単に楽譜を機械的に正確に弾くことだけなら、さらに巧みなチェリストはいるでしょう。しかし、どの曲にも音符の一つ一つに血が通い、音楽そのものの息遣いが聴こえてくる、そんなバッハを聴かせる奏者はそうはいません。フレージングは大きく、打ち寄せる波が押し寄せては引くかのごとく振幅に富み、また勢いよく前進したかと思うと一瞬の間があってハっと息を飲ませたり。そういう融通無碍な表現が楽想に見事に一致していると思わせます。</p> <p>この日の演奏曲目は、1番&rarr;5番&rarr;休憩&rarr;2番&rarr;6番&rarr;休憩&rarr;4番&rarr;3番、という順でした。簡単に各曲の特徴を記しましょう。</p> <p>&nbsp;1番&hellip;非常に有名なアルペジオによる前奏曲で始まりますが、指慣らし的にスラーで軽くこなすような演奏も多い中、まず驚いたのは16分音符をすべて切って演奏していたことです。と言っても速いテンポで駆け抜けるバロック奏法とも一線を画し、堤はじっくりと個々の音符に意味をもたせながら引き進めます。アルマンド以下も腰をすえた取り組みで、この組曲でこれだけ内容のある演奏は近年まれだと感じました。</p> <p>&nbsp;5番&hellip;この曲はハ短調でチェロには難曲ですが、引きやすくするための特殊な調弦をバッハは指定しており、最近はこれに従う演奏も増えてきました。堤もそれを採用しています。その結果、響きがやや渋くなり古風な音調が展開します。また、最高弦のG音(通常はA音)が開放弦でブ~ンと豪快に鳴り響くことが多く、通常の調弦法による演奏を聴きなれた耳には新鮮です。私も今、この曲に通常の調弦法で取り組んでいますが、この演奏を聴いて、この調弦で挑戦してみたくなりました。</p> <p>&nbsp;<休憩1>改めて会場を見回すと、大ホールがほとんど一杯です。横浜市周辺はもちろん、みなとみらい線・東横線の延伸で東京や埼玉県あたりからも来ている人もあるいは多かったのかもしれません。堤への期待の大きさが伺えます。</p> <p>&nbsp;2番&hellip;これも1番と同様、6曲の中では技術的にはさほど難しくないため、速いテンポで通り過ぎるような演奏もありますが、堤は丁寧にニ短調独特の情感を込めて取り組んでいきます。私は個人的にこの曲のメヌエットに特別な思い入れがあるのですが、特にメヌエットⅡは優しさに満ちた素晴らしい表現でした。</p> <p>&nbsp;6番&hellip;5弦チェロのために書かれた輝かしい大曲ですが、通常の4弦チェロで弾く場合は親指を使ったハイポジションが続出し、最高度の技術を要求されます。堤の演奏はほとんど難なくそれを乗り越え、むしろ4弦(A線)ならではの張りのある音で、スケール豊かに壮大な曲想を描き切っていました。部分的には高音部で一瞬おや?とさせられるところもなきにしもあらずでしたが、全体でとらえれば取るに足りません。妙なたとえですが、同じ演奏でも少し傷のあるLPレコードのほうが、無色透明、無味乾燥なCDよりもずっと迫真性、存在感に富み、魅力ある演奏に聴こえることが多いですが、堤の演奏もアナログのよさを実感させてくれます。</p> <p>&nbsp;<休憩2>元団員のK藤さんも来ていて、久しぶりで少し話しました。先月の浜管定演にも来てくれています。チェロは続けているとのことで、最近の状況をお話し、復帰をお願いしておきました。</p> <p>&nbsp;4番&hellip;個人的には昨年、堤のCDを最も参考にして取り組んだ曲なので、この日一番楽しみに聴きました。CDと同様、非常に柔らかでしなやかな4番でした。前奏曲はただ楽譜通りでは単調になってしまいますが、テンポ、デュナーミクで細かな表情づけを随所に施しており、強い説得力のある演奏でした。サラバンドも深々とした情感にあふれた表現でした。</p> <p>&nbsp;3番&hellip;雄大かつ華やかに描かれた名演。おそらくこの曲を長く愛奏してきたのでしょう。貫禄で押し通した感じです。なぜ全曲演奏会のトリに持ってきたのかがよくわかる充実した演奏でした。とりわけ前奏曲後半、あのオルガンのように延々と続くG音の開放弦の迫力が強く印象にのこりました。</p> <p>&nbsp;すでに古希を超える年齢ながら、あわせて正味2時間半に及ぶ孤独な長丁場をほとんど緩み無く弾き切った精神力と体力にも敬意を表します。日本でこれだけのバッハを演奏できるチェリストがいることを心から誇りに思います。</p> <p>舞台での演奏姿、立ち回り?も見事の一言に尽きます。Durの楽しい部分では笑みを浮かべたり、熱いフレーズではチェロが床に触れるのではないかと思われるほど大きく傾けたり。見栄をきっている歌舞伎の名役者を髣髴とさせます。まさに「千両役者!」というほかありません。日本人演奏家でこんな芸格を舞台で発揮できたのはほかに指揮者の朝比奈隆くらいではないでしょうか。</p> <p>最後にアンコールとしてカザルス編「鳥の歌」を無伴奏用チェロに編曲した版で演奏しました。その姿はあたかもカザルスが現代に蘇ったかのような錯覚に囚われるほど神々しく、まさに堤は「日本のカザルス」として屹立する存在になったと思わせたのも、あながち外見が似てきたためだけではありますまい。</p> <p>来場したお客さんは堤と同年輩と思しき熟年層が目立ちました。皆さん、この日の演奏で大きな勇気をもらって満足して帰宅されたことと思います。</p> <p>&nbsp;</p>